  
街は、人も車もゆっくりと流れている。観光バスは、オコンネル通りの中央郵便局近くのバスタ−ミナルから出発する。すでにダブルデェッカ−車が数台待機しいる。先頭車は満席で出発が近い。チケットを求めバスタ−ミナルの案内所に向かった。室内も設備も古く、「田舎のバスターミナル」の雰囲気だ。案内所(券売所)は、小さなガラス窓で仕切られている。ボードのポスターに、市内名所観光、海辺の城めぐりコ−スなどがある。それらは8ポンド〜10ポンドの値段になっている。時間の余裕がないので、8ポンドの「市内名所バスツアー」の切符を買った。バスに乗ったまま名所や旧跡を廻る旅のようだ。中年の女性係り員が「10時15分発が発車します。急いで下さい」とキップを渡しながら言った。先ほどの満員だったバスは既に出発していた。車道に次発のバスが横付けされている。まだ一階も2階も半分ほど空いている。階段から二階に上がった。前方に初老の男女10人程の団体さん、後方に2人連れの観光客が2組いた。中程の左側の窓側に座った。
バス全体が禁煙なのはうれしい。観光バスにしては座りごこちが悪い。「ようこそ、グランド・ダブリン・ツアーにご参加くださいました」とガイドが挨拶を始めた。既にバスはゆっくりとオコンネル通りを北上し始めていた。ガイドは中年のスマートな男性で高音の「イギリス英語」のようだ。このツアーは、ジョイスと縁のある建物やパトリック聖堂、ギネスビ−ル工場など15カ所程の名所をバスに乗ったまま巡行する。「ギネスは、工場内見学とビ−ルの一杯でも試飲させてほしい。それにガイドは綺麗な女性がいい」と思った。ガイドの話を聞きながら、時には建物の前でバスを止める。ある時は、ゆっくり走りながら建物の周囲を見学させてくれる。バスは、作家博物館から進路を南のりレフィ−川に向かった。レフィ−川にさしかかると、ガイドさんがジョイスの説明をし始めた。その説明に、前に座っていた団体の女性達が、「何か意味ありげな笑い」を始めた。どうも、ガイドが「色話」をしたようだ。
バスはトリニティ−を通過し静かな通りに入ってきた。整然とした歩道の両側に、4〜5階建ての石造りのビルが並んでいる。「先日見た景色だ・・」と思いながら、ガイドの説明を聞いた。やはり、前方に昨日夕食を取ったホテル&レストランが見えている。ここは、昨日の「ドアーの美しいビル街」である。その時は、夕方だったのでジョ−ジア−ズ・ドア−の写真を撮らなかった。今見るとカラフルでとても綺麗だ。動いているバスから、写真を撮るのには苦労する。後ろに座っていた婦人も写真を取り始めた。 バスは、セント・ステファングリ−ンを半周して、レフィ−川左岸のバイキング館に向かった。運転手は交通量が多い場所でも、堂々と低スピ−ド(時速20km以下)で走り続ける。ガイドは必要な場所では2〜3分停車して説明をする。しかし、その為に交通が麻痺することはない。後ろで待っていた車は、対向車が切れるとゆっくりと追い越して通過して行く。「こんな所で停車すると、大阪ならドライバ−が怒りクラクションを鳴らし続けるだろう」と余計な心配をした。バイキング館はダブリン城の近くにある。ビルは、最近造られたようで外装工事をしている。
バスを降りて、ガイドさんの案内で全員(20名程度)が、中に入って行った。このツアーでバスを降りたのはこれが初めてである。内部は近代的に造られている。一階は壁一面にバイキングの説明をしたボ−ドが掲げられている。バスガイドは全員の入館を確認すると、そこからは館所属の案内係が先導をした。彼は正面の大きな両開きのドア−を開けて、全員を「暗闇」の中に案内した。前方の薄暗い所に20人程乗れる実物大の「バイキング船」が停泊している。案内係が「みなさん、乗船して下さい」と言った。先に団体さんが乗船した。僕は彼らの後ろに続いた。最後に、二人ずれの中年婦人達が乗り込んだ。全員の乗船が終わると、薄暗い部屋の正面奥に大スクリ−ンが現れた。ナレーターのバイキングの説明が流れてきた。前面のスクリーン全体が大海原に変わった。波しぶきが「ザザーン、ザザーン」と部屋中に響き渡り始めた。そして、バイキング船が帆を上げ大海原に出港した。船乗り達の掛け声と櫓の音が聞こえてくる。「波」で体が軽く揺れている。まるで、本当の海原に船出したようだ。目の前のスクリーン映像が、音響とともにどんどん変わっていく。
暫くして船は快晴の青い大海に出た。波の音と櫓を漕ぐ音が、「ギ−、ギ−」と穏やかに聞こえてくる。バイキング船が大海を軽快に走り出した。青い海と空、白い波しぶきで素晴らしい船旅である。ナレーターの説明が終わると、急に海が荒れてきた。船が左右に大きく揺れ始め(かなり揺れている)、スクリーンは真黒な空と黒い海のを写しだしている。大嵐に巻き込まれたようだ。大音響の波しぶきと風の音が耳を劈く。同時に、「波しぶき」が頭や顔に打ち付けてきた。本当の水が吹き付けてきたのには驚いた。海は荒れ狂い雷が鳴り始めた。「バリ、バリ、ガガーン、ドーン」と凄まじい音と響きで耳が痛い。さらに雷と伴に、空(上)から再び「雨」がかなりの強さで降ってきた。「数人のおばちゃんが」、「キャー」と悲鳴を上げた。「うそや・・・」と自分の頭上をさわってみると濡れている。びっくりしていると、「ピカ−」と稲妻が走った。その瞬間、「ガガ−ン」と船の帆に雷が落ちたようだ。激しく「ガタン、ガタン、ドーン」と大きく揺れ岩礁に漂着してしまった。船はスタートしてから30m以上、本当に揺れながら前進したようだ。暗くて「からくり」はわからない。しかし、すばらしい舞台装置だ。スクリーンの映像も現実的でスリルがある。
やがて、嵐も治まり船首付近が明るくなってきた。前方が一段と明るくなり、トンネルのような入り口が見える。そこから、当時のバイキングの姿をした「案内人」が、船首の方に来た。彼は、「ようこそお越し下さいました。これからバイキングの世界へ御案内します」と、私たちに下船するよう催促した。乗客達は案内人の後に続きトンネルを抜けた。少し進むと、明るい村の入り口が見えて来た。そこには、ヴァイキングが活躍した当時の建物がある。綺麗な小川が流れていて、岸辺に彼らの家々が建っている。若者や夫婦のヴァイキングたちが、すれ違いざまに私達に挨拶をして行く。通りに面した家の中でも、バイキング夫婦が本当に生活している「演技」をしている。タイムカプセルで過去に戻った錯覚に陥る。私達は、案内人から一軒の家に案内された。当時のヴァイキングの家である。彼は「私の家です、ご自由にお座りください。そのうちに、私の妻も帰ってきますので」と言って、私達を土間に置かれた木製の丸太に座らせた。
家の中は、当時の道具や武器が置かれている。彼が、それらの説明をしていると妻が帰ってきた。彼女は、大きな水瓶を持っていて彼と「世間話」をし始めた。彼らは、食べ物や家事の話をしながら、お互いに「けなし」あい、時には「色」の話をして私達を楽しませている。彼らは合間を見て、私達観光客の「中」に入って来る。そして、私達と冗談を交えながら「やりとり」をする。彼らの話と演技は、とても愉快だ。ヴァイキング夫婦が、次の場所に私達を案内した。小川に沿って進むと、「石切場」が出てきた。彼らは、そこで出会った職人夫婦と「世間話(バイキングの生活)の劇」を演じている。「イギリスのシェ−クスピア−劇場」の俳優の演技力となんら変わらない。彼等は「劇」の訓練を積み重ねた、一流の俳優達である。彼は、「当時、最高だと言われたバイキング船の建造技術が、当時の家の柱の組み立てに生かされている」と説明した。よく見ると、柱と柱を凹凸にくり貫き、そこに「はめ込んでいる」ことに気がついた。それは、日本の寺の屋根や柱の建造技術とよく似ている。さらに「船が、浅いレフィ−川の奥深くまで侵入できたのは、船底が広く「喫水線」が浅いためだと付け加えた。30分ほど、ヴァイキングの世界にタイムスリップさせて貰った。村を出ると、出口にバスのガイドさんが待っていた。全員がバスに戻ると、直ぐに発車した。目の前の、このレフィ−川をバイキング船が行き交ったのだろうか・・・・。トーマス通りからギネス工場に向かった。この通は交通量が多い。ギネス工場から大型トラックがビ−ルを載せて出てきた。
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